あなたはパチンコ屋に友人がいますか?

野球場昼間

ここ何年か天井&ゾーンの鳥居みゆき的ヒットエンドランスタイルに切り変えてから、人と話すことがとんと少なくなった。

いや、それ以前にパチンコメインで打っている時代も、僕はとっつきやすい陽気な男ではまるでないし、ホールで自然と知人ができるというようなこともおよそなかった。

だから今、数カ月に一度の連れスロ以外は、一人寡黙に店回りをしている。

ただ、数年前には、ホールで顔を見かけると声を掛け合う、青年がいたのである。


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彼は東京は江戸川区の某ホールを根城にしてスロプロをしていた。

彼がホールにいるかどうかはすぐわかる。

サーキットバイク

バイク置き場のほぼ決まった位置に、ヤマハの250ccバイクが停まっているからだ。

バイクのタンクは鮮やかな緑色で、
遠目からでも
彼がホールにてイソシンデイルのか、
イソシンデイナイのかは判別ができた。

声をかけてきたのは、彼からだった。

バイク置き場で

「リセットがかかっていましたね」

とか、なんとか。

その店は基本メイン機種以外は据え置きなのだが、その日僕は計算外にリセットを食らって、結構なところまで連れて行かれてしまった、そんな流れだったように思う。

それをきっかけに、なんとなく話すようになったのだ。

それでも多くを話すわけではなかった。

会えば、二言三言、簡単な言葉を交わすくらいだった。

明朗快活というタイプでなく、飄々とした、ぼんやりとした男だった。

彼の硬質そうな長めの髪は少しくせ毛で、いつ見ても無頓着な感じでセットなどされていた試しはないのだが、日によって少しずつ形を変えるその野放図な髪型は、飄々とした彼に面白いくらいマッチしていた。

彼のことは知人とか、ましてや友人と呼べるレベルのものでもなかったが、バイク置き場に緑色のタンクを認めると、知らず表情が緩むのだった。

その日もバイク置き場に、緑色のタンクを見つけると、ホールへと入った。

シマを回っていくと、彼がいた。

剣山のようにメダルを積みこむことを宗旨としているカチモリストの彼は、その日絶好調で、頭上に見事なカチモリを2山つくり、今も大当たりの最中だった。

肩を叩き、にやりと笑って見せようかとも思ったが、混んだシマだし、彼も集中しているようなので、そのまま通り過ぎ、店を出た。

バイク置き場の方へ歩いていくと、後ろから声をかけられた。

「どうも、どうも」

彼だった。

「出てんじゃん」

電話でもかかってきて、外に出たのかなとも思ったが、そうではないようだった。

「あの・・今日、飲みに行きませんか?」

唐突すぎる想定外の申し出に、正直戸惑った。

数時間後。

2匹のアライグマ

都営新宿線某駅前。

居酒屋。

突出しが運ばれてくる。

彼と向かい合っているわけだが、実のところ彼の名前も知らなかったりするんである。

照れながらお互いの名前を言い合う。

日本で一番だか、2番目に多い苗字だった。

そして酒が入り適当にお互いほぐれてくると

「月にいくらくらい勝っているの?」

と、立ち入ったことを聞いてみた。

歳の差もあるし、彼のキャラだからこそ
聞ける不躾な内容だった。

「20前半ですかね」

それから彼が、北海道から音楽やるために上京したこと。

音楽系の専門学校に入り卒業したが、自分の技量では音楽で生計を立てるのは難しいと感じた事。

それでもなにか、音楽で食えるんじゃないかとか、東京にいたらなにか起きるじゃないかとか、どこか頭の片隅でそんな夢想しているのだと、いつもの飄々とした喋りで彼は語った。

「でも、うちは工務店をやっていて、いつまでもプラプラしているんだったら、戻って来いって、半年前くらいからうるさく言われているんですよ」

酒の弱い2人が赤くなったころに、バイク置き場で呼び止められた理由が
やっと理解できた。

「というとさ。今日お酒を誘ったのは相談的な?」

「ええ、まぁそうです」

「でもなんで俺に?」

「凄くマナーがいいじゃないですか」

「・・・」

話がすぐに呑み込めなかったが、こういうことだ。

僕はタバコをやらない代わりに、遊戯中に飴やガムを口に放り込んでいるのだが、その包み紙などは、大体、持ち去っている。

ジュースを飲んだ時も、空になっても、後から来た客が空席かどうか紛らわしいかと思い、持ち去ってゴミ箱に捨てている。

彼はその一連の行為を良く見ていたらしいのだ。

歳は一回りは違いそうだが、変なところを見ているものだなと思った。

「それに、打ってる時一ミリもよそ見しないでしょ」

笑った目で言う。

「ああ、そうだね。それは大人としてうっとうしいかなって」

マナーがいいと褒められれば、人間、悪い気はしない。

しかし、さて、相談と言われても、何と答えたものか。

「音楽には未練はないの?」

「未練はありますけど、好きなだけはどうしようもないことだけはわかったので」

冷静な口ぶりだった。

彼の鑑定眼はともかく、彼が音楽で何とかできる、と少しでも見立てているならば、成否の可能性はともかく、人の人生だ、何も言うことはできない。

けれど現実を冷静に見据えたうえで、無理だと判断しているなら、年長が故の言葉を差し出してみても悪くはないだろうと思った。

「給料というのはさ、言いかえれば、たぶん我慢料みたいなものだよ」

「・・・」

これは僕の親父から聞いた銀言だった。

うちの親父はとある商事会社に長く勤務していた。

親父は学生時代、僕に向けて
勉強しろとは一言も言わなかった。

ただ社会人になってからもあまりにふらふらとし続ける僕へ向けて、晩酌をしながらぽつりとこう言ったのだった。

よぉ、なおすけ、給料は、我慢料だと。

夢もロマンもへったくれもない言葉だったが
その簡潔さには、
現実世界を穿つ重みと、
背中で物を語るかのような、
男の哲学もそこはなとなくだが、僕には感じられたのだ。

おそらく中二病の限りなく真裏に位置する概念のような気がした。

「どえらくロマンがないでしょ」

僕と彼は時間差で笑い合った。

人は自由に生きればいい。

これが僕の生活信条だ。

ただ恐ろしく自由で公平な世の中ではきっと素晴らしい文学も芸術も生まれはしない。

それと同じで
不条理や挫折、我慢を知り、
それを乗り越えなければ
僕のように
きっと大した人間にもなれやしない。

それなりのジェネレーションギャップはあって、彼が好きだというアーティストのいくつかはわからなかったけど、アジカンの君という花のPVは良かったとか、くるりの歌い方は不退転でいいとか、共通の話題もあったりして、スロ場で出会ったのに、主に音楽話で盛り上がった。

ふってわいたような想定外の酒席ではあったが、ひどく気分のいい酒席となった。

それから、数日たって店に行った。

かなりの確度で緑のタンクがあるはずなのが、そこにはなかった。

それからも一週間、二週間。

いや、色鮮やかな緑のタンクをそれからバイク置き場で見かけることはなかったのである。

本来語る資格もないあの助言がましい言葉を彼に漏らさなければ、あの後も緑のタンクをバイク置き場に見つけることは出来たのだろうか。

いや、彼は腹の底でおおよそのことは決めていたはずだ。

知り合いから、友人になれそうな数少ない感覚の合う男と別れることはすでに決まっていたことなのだ。

あれから僕は2度引越しをして、埼玉にいる。

それでも街中の道路で彼と同型のバイクを見ると、北海道ナンバーではないかと、ついそのナンバープレートを目で追ってしまったりするのである。

北海道の大きな草原


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